私は、納棺、死化粧も行います。
杏林大学教授を父に持つ、佐藤琴子先生の第一人者として、現在活動しています。新聞社の方や出版社の方の取材も行っています。
先日テレビにも出演しました。
そんな中、不思議なことが最近あります。
ご遺族からの直接の電話です。
そう、私のところに直接電話がかかってくるのです。
『父を亡くしました。お顔を整えてくれませんか?
遠方でも、可能なんでしょうか』
私は、びっくりします。
葬儀屋さんは決まっていますか?
葬儀屋さんは相談に乗ってくれないのですか?
彼女はゆっくりと静かに話します。
『葬儀屋さんはうちでは、取り扱ってないので、ご自分で探してくださいと言っています。母の時かわいそうなことをしたので、絶対プロの方に頼みたくて・・・でも、遠いので来てもらえるのかと・・・』
どうして?
『葬儀屋さんの許可を取って、OKを頂いているのであれば、問題はないです。どこにでも行きますよ。ご安心してください』
電車を乗り継いで、3時間半。ゴロゴロとスーツケースをころがしてついた場所は、なんと素晴らしく大きな葬儀社様の自社式場。
カウンターには、きれいなお姉さんが、ホテルの案内のように対応してくれます。
そして、エレベーターから降りてくるご遺族。
『はじめまして、高津川です。』
なんだか、彼女はほっとしてるようにも見えました。
こんな遠くまで、本当にありがとうございますと・・・
そして、らせん階段をくるくると昇っていき、ベルサイユ宮殿のような式場の3階の一室に、ご遺体は寝ていました。
すっげー!こんなとこに金かけるなら、お客様に不要な心配をかけるようなことするな!私の頭には怒りすらよぎっていた
『父です』
『一緒にいていいですよ。』
心配そうな彼女『男だから、そんなものはいらないってみんなに言われたんですけど、母の時自分でやるからって、化粧したりしてあげたんですが、どんどん痩せていって、全く別人になってしまって・・・父にはそんな思いしたくなくて・・・』
彼女のほほには、涙が流れていた。
『わかりました。心配でったでしょうね
よく、私を探してくださいましたね。お父様に喜んでもらいましょうね』
そうして、お顔の処置、お化粧(お顔を整える)が始まりました。
2時間が立ったでしょうか
彼女は、向こうのほうにあるソファー落ち着かせようと本を読んでいました
『できましたよ。おとうさんちょっと照れてるみたいですよ』
彼女は、本を投げつけるように置いて、走ってきました。
そのまま、『お父さん、笑ってる!お父さん、笑ってる!』
何回も何回もそう、繰り返して泣いていました。
ほほが、こけないように、少し膨らませてあります。
色が変わらないように、特殊メイクを施しました。
プラスティックのように変わっていくファンデーションです
30分ほどすれば、落ち着くので、それまでは触れないようにお願いしました。
これは、亡くなった方に使うメイクではなく、鮮明に映し出すようになったテレビなどに対応できるように考えて作ったエアーメイクで、モデルさんに使っているものなんです。
乾いてくれば、触っても全く取れません。ただし、アルコールで肌を拭くことはしないでください。
彼女は泣いて喜びました。『勇気を出して、電話してよかった』
私は、冷え冷えとしたらせん階段を降り、事務的な対応の受付の彼女に頭を下げ式場を後にしました。
そしてまた、私は誓いました。
葬儀をするご家族に、絶対心配なんかかけない!
私は、生涯正義の味方でいたい!
又、つくづくそう思う一日でした。
お葬式110番 南関東本部 川崎中央市民葬祭
セルディア館